以前も記事に取り上げた竹中半兵衛を描いた私小説「王佐の才」をゆるゆると読ませてもらっている。
何せ、集中力がないと読めないので。。。
今回みた19話は、茶の湯についての竹中半兵衛の視点を書いているのだけど、
音楽やデザインなど、心を必要とする行に大切なこと
大人として大切なことが書いてあった気がする。
引用させてもらうので余裕があるときにみてみてください。
--王佐の才 19話より引用(1)--
金持ちの道楽のように感じていた小一郎は、多少驚いた。
「茶は、そもそもが禅宗から生まれたものです。禅とは切っても切れないほどに繋がりが深い。茶の心というのは、言わずとも禅の心と通ずるものだと私は思っています。だから茶とは、突き詰めれば、人の心を磨く道のようなものでなければならぬと私は解釈しているのですね。そういう志を持たない茶は、それこそただの道楽――分限者が贅を誇るだけの悪趣味な遊びということになる」
むろん、遊びとして楽しんでおるだけの者も多いのでしょうが――と、半兵衛は続けた。
「まぁ、つまるところ、実際に山里に侘び暮らすのも、こうして山里の暮らしを都の中でするのも、人の裡(うち)においては、その本質は同じということです。気分を真似ておるうちは遊びに過ぎませんが、この二つを同じことだと思い至ることが一種の『悟り』であり、それができる者を禅宗では『覚者』と呼び、茶数寄では『名人』と呼ぶのではないでしょうか。それはそうと――」
--/王佐の才 19話より引用(1)--
これって一見するとよくわからないのだけど、ふわっと考えてみると
なんだかわかるような気がする。
>気分を真似ておるうちは遊びに過ぎませんが、
>この二つを同じことだと思い至ることが一種の『悟り』であり、
>それができる者を禅宗では『覚者』と呼び、茶数寄では『名人』と呼ぶ
これって、デザインにしても音楽にしても古典の真似事をはじめたころのことと、
自分が体現でき始めたと悟りだしたころ(いやさまだまだだけど)のことに重なる。
話をもどすと、
この言葉に対して、耳をそばだてていた山上宗二(茶の湯を志したころの若い宗二)が
静かにくってかかる。
--王佐の才 19話より引用(2)--
「先ほど竹中さまは、ひとつだけ間違ったことをおっしゃいました」
「ほぉ。私は何を間違えましたか?」
「茶数寄の『名人』についてでございます。竹中さまは、『山里の侘び暮らし』と『市中の山居』を同じことと喝破する者を茶数寄の『名人』と申されました」
「一言一句その通りではありませんが、確かにそのような意味のことは言いましたね」
「しかし、私どものような茶に携わる者のうちでは、『名人』と称されるほどの者は、4つの条件を満たしておらねばなりません。その4つの条件とは、まず茶の湯の上手であること。さらに道具の目利きであること。茶の道に深い覚悟を持つこと。そして、唐物の名物を所持しておることでございます。この4つのいずれが欠けておっても、私どもはその者を『名人』とは呼びません。ですから、先ほど竹中さまが言われたような者は、『名人』ではなく、『侘数寄(わびすき)』と申すべき者なのでございます」
「あぁ・・・そうなのですか。それは、知らぬこととはいえ、ご無礼をしましたね。覚えておくことにします」
半兵衛は、ごく素直に謝った。
武士に――しかも天下の竹中半兵衛に――議論を吹っかけるという行為に、多少身構えるところがあったのだろう、半兵衛があまりにもあっさり引き下がったので、青年は逆に面食らったようであった。
「・・・・・あ、いえ、手前の方こそ、失礼を申し上げました。手前はまだ未熟者ではございますが、茶の道を志し、いずれは名人と呼ばれるほどの者になりたいと念願しておる者でございますれば、この道のことに対してだけは融通が利かず、つい要らざる差し出口を挟んでしまいました。どうかお気を悪くされませぬよう」
半兵衛は、妙に弁解がましく謝る青年を好ましそうに微笑で眺め、
「御辺にとっては、茶こそが譲れぬ部分なのですから、譲らぬ覚悟で、そのままに進まれるがよろしかろうと存じます」
と言った。
青年はハッと顔を上げ、
「ご教示、ありがたく肝に銘じましてございます・・・!」
再び深く深く頭を垂れた。
--/王佐の才 19話より引用(2)--
涼やかなのはここから
>半兵衛は、ごく素直に謝った。
>武士に――しかも天下の竹中半兵衛に――議論を吹っかけるという行為に、
>多少身構えるところがあったのだろう、半兵衛があまりにもあっさり引き下がったので、
>青年は逆に面食らったようであった。
ここまで。
>半兵衛は、妙に弁解がましく謝る青年を好ましそうに微笑で眺め、
>「御辺にとっては、茶こそが譲れぬ部分なのですから、譲らぬ覚悟で、
> そのままに進まれるがよろしかろうと存じます」
素敵だと思う。
つっかかる他分野の若手に苛立つわけでもなく、
諭すでもなく、包み込むでもなく、
そっと肩を触れるくらいの柔らかさ。
大人ってかくありたい。
まぁ、これができてたら、俺も髭をそらずにすんだのだろう。
べんきょう、べんきょう。
□参考
王佐の才 第19話
■追伸
作者のとしさん。
関連記事を書いたのが去年なのに、
「まだ、19話までしか読んでないのかよ!」
という状況です。
いっそのこと、マンガか大河ドラマにでもなってくれたらいいのに。
でも、楽しみに読んでます。ありがとうございます。
半兵衛はとにかく風流人だったらしいね~、若者の定規で引かれた考え方ながらもまっすぐさは気持ちいいし
半兵衛のストレートな人の見方もいい!だからこそあれだけ認められ、上からも下からも頼られる武将だった
んだろうね、、、、やべ、半兵衛のこと語ったら小説のネタばらしになりそうだからここでやめとこう!
ぐっとあごを引くと喉が開く、歌にもいいだろうけど、あごを引くと目の前の人を正面から見ることが出来る
そんな事考えながら顎を引いたりするときあるな。。。。。
投稿情報: Nohi | 2007-05-09 14:16
おお、Nohiどん。
Nohiどんはこのネタ、
反応してくれると思ってたよ。
半兵衛のこと、もっと語りたいね。
若い宗二のまっすぐさも見えるなぁ。
だけど、この行にも、
後に山上宗二が秀吉に惨殺された理由がみえるね。
若いときはいい。
でも、どんなに小さいことでもアシスタントではなく
責任者としてフロントに立つようになった後は、
きづかなきゃな。
おれにも宗二に似たまっすぐな片腕が昔いたよ。
下記に載ってる宗二の末路
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E5%AE%97%E4%BA%8C
と同じ道をたどらないように。
気持ちを明かす場所と人をしっかり選べるように。
自分本位じゃなく謙虚さと他人への感謝をベースに
気持ちを組み立てれば道は開けていくということに。
それは、いくら年を重ねようと、いくら上に行こうと
忘れてはならないことに。
大切なことに気づいてくれてるといいけど。。。
気づいてるか?
まだわからなければ、連絡しておいで。
脱線してしまったな。。。
>ぐっとあごを引くと喉が開く、歌にもいいだろうけど、
>あごを引くと目の前の人を正面から見ることが出来る
>そんな事考えながら顎を引いたりするときあるな。。。。。
なるほどな。
それいいな。今度やってみる。
まぁ、「怖い」っていわれるだろうけど。
あっちにも、もう少ししたらあがれるようになるかな。
たぶん、おしゃべりしかできないだろうけど。
まだいるかなー。
投稿情報: Saxジョジョ | 2007-05-10 08:50
ご無沙汰しております。
しっかりと読んでくださっているようで、書いた者として嬉しい限りです。
こちらこそ、ありがとうございます。
18~21話が、「利休茶話」とタイトルを付けたお茶に関わる段落ですね。
19話と20話で、芸能とか芸術とかいったものに対する僕の考え方や見方といったものを表現したつもりです。
>若いときはいい。
>でも、どんなに小さいことでもアシスタントではなく
>責任者としてフロントに立つようになった後は、
>きづかなきゃな。
ってのは、含蓄ある言葉ですね。
悲劇的な最期から逆算して想像し、創造した宋二のキャラクターも、成功だったかな、と思えました。
なかなか深い感想とかって頂けないので、参考にもなりますし、ありがたいです。
投稿情報: とし | 2007-05-14 11:09
>悲劇的な最期から逆算して想像し、創造した宋二のキャラクターも、成功だったかな、と
あの行を読んだとき、その逆算を想像してとても感慨深かったです。
コメントみてそうだったのだと確信してさらにうれしくなった。
というか、半兵衛(竹中重治)と宗二(山上宗二)、
って同い年だったのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1544%E5%B9%B4%E7%94%9F
経験知とモノの見方、表現の仕方の違いで、
これだけ同級生に差をもたらすのかと思うとびっくりです。
なお、「宋二」の「そう」の字ですが、
「宗」でしょうか。「宋」でしょうか。
20話の南宋寺に関する「宋易」と「宋二」の逸話から、
あえて「宋」にされたのではないかと思ったのですが。
どこかでコメントされていたら、確認不足です。でしゃばってすみません。
投稿情報: Saxジョジョ | 2007-05-14 20:57
>なお、「宋二」の「そう」の字ですが、
>「宗」でしょうか。「宋」でしょうか。
!!!
指摘されて初めて気付きました。
「宋」は間違いで、全部「宗」が正しいです。
南宗寺も、「宗」の字です。
僕がエイットックに名前の登録をするときに、どうやら「宗易」を「宋易」と誤って登録してしまったために起きたミスだと思われます。
指摘して頂いたことに、心の底から感謝します。
読んだとき、すげぇ汗が出ました(苦笑
全部直します!
投稿情報: とし | 2007-05-14 22:21
そうだったのですかー。自分も南宗寺を誤記してました;
「宋」の字もなかなか味わい深くていいなぁと思いました。
いやいや、ちょっとでもお役に立ててうれしいです。
投稿情報: Saxジョジョ | 2007-05-15 08:32