リクナビのコンテンツにもあるコレ。
最近、必要と感じてしまう自分がいる。
ちゃんと叱られたことが無い人が増えてるような
そんな気がする。
親父はちゃんと私を叱ってくれた。
そんなに回数は多くなかったが、
人を傷つけるうそがばれたとき、頬がはれあがるほど、
何度もしばかれたことを覚えている。
自分が納得いかないときは、僕もブロックするので
一方的というわけではない。
そんな人間から叱られたとき、
腹は立つが本当に省み、成長できるものなのだろうか。
オフィスでも叱ることが一時期多かった。
社員の採用面接でも説教じみた話を
しなければならないこともでてきた。
圧迫面接とかそういう趣旨はまったくないが、
どうしてもわかってほしくて話をすることが多い。
守るべき筋を大切にできないというか…。
(私も酔っ払ってるときは人のこといえないし そんなほめた人間ではないですが…。
でも、本当にちゃんとやれていたのだろうか。
馬謖がでていってから、いろんなほころびや
ふりまわされた人の怒りや悲しみや、そんなものをきいてきた。
私は代わりに謝ることしかできないことが本当に申し訳ない。
子供をまだもったことはないが、
親の気持ちとはこういうものかと思った。
自分は取締る役として
まだまだだと思う。
二度とくりかえしちゃいけない。
そして、省みること。
前向きでいることと
省みないこととは違う。
心の病で、省みる心をうしなった人が私の大切な人の中にいた。
躁うつ病の、重度な躁状態。
その人はいろんなものをうしないそうになった。
私はその人を、何度叱ったかわからない。
本当は叱らずに気付いてもらう方法があるのかもしれない。
叱るにはパワーがいる。つかれる。
でも、そういってて逃げてちゃいけないのかもしれない。
長い苦渋のすえ、その人ははっときづき、留まることができた。
省みることの大切さをおもいしってくれたのだろうか。
それとも、気付けたのはただの偶然なのだろうか。
ちゃんと省みることができれば
叱る必要は無い。
だが、省みることにどうしても気付いてくれないなら
叱るしかない。
叱るより叱られるほうが楽だと、
今は思える。
お互いがちんこでやらせてください。
その後は、カラっと除湿でいかせてください。
追伸:
かきなぐったあとに、もう一度
叱と省の字を見ました。
漢字ってすごい。
字が体を現していると思いませんか。
■いつかの昼餉
えびちり定食 950円。
えびって高いですよね。
いっぱい入っててうれしい~。
と、おもってたら。
揚げ物で上げ底してやがったな。
このぶたやろう。
でも、微妙にかわいい…。
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